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またまた旅の話である。
5月18、19日にみちのくに出かけた。東京駅から東北新幹線に乗り、第一の目的地である郡山へ。この地には、エレックレコードのスタッフで昨年9月に脳梗塞で倒れた、“ブン” こと國分教貴の実家がある。彼はいまそこでリハビリに励んでいるのだ。

駅に着くと、ブンのお父さんが車で迎えに来てくれていた。車窓の外には、のどかな田園風景が広がっていた。ブンの実家に到着、母親とブンの出迎えを受ける。8ヶ月ぶりの対面だった。握手をしようとしたが、ブンの右手はまだ動かない。笑いながら左手で俺の手を握り返してくれた。

「教貴、よかったね。社長さんがこんな遠くまで来てくれたよ。社長さんをテーブルまで連れてってあげなさい」
母親に言われてニコニコ笑いながら歩くブンの後に付いて行くと、俺の酒好きを知ってか、テーブルには酒のつまみが用意されていた。田舎を感じさせる漬物や甘露煮、そして刺身など。ブンがビールを持ってきてくれた。左手一本で器用に缶ビールを開け、グラスに注いでくれる。

「ブンの酌でビールが飲めるなんて、俺は幸せだ」
「俺もです」
たわいない話が続き、一段落した後で俺は言った。
「ブン、お前6ヶ月でリハビリを完成させて、エレックに戻って来い」
「えっ6ヶ月ですか!?」
無理は分かっている。が、俺がブンにしてあげられるのは、希望を置いてくることくらいだと考えていた。
楽しい時間はすぐに過ぎていく。缶ビールも5本ぐらいは飲んだだろうか。そろそろ行かなければならない。
帰りは、家族全員で郡山まで送ってくれた。

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 5月10日(日)、恵比寿ガーデンホールで行われた泉谷しげるの誕生ライヴ〈生まれ落ちた者たちへの生誕祭〉に出かけた。アンコールで忌野清志郎の「雨上がりの夜空に」が流れ出し、思わず熱唱した。ふっと気がつくと、頬に涙が流れていた。
 清志郎さんとは縁がないわけではなかったが、一緒に飲んだとか遊んだとか言うほどの関係ではなかった。58歳で世を去っては欲しくないロッカーであった。
 先日は、アシュリー・ヘギが17歳の若さでこの世を去った。難病のプロジェリアの患者であった。アシュリーは、「次に生まれるとしたら誰に生まれたい?」とDJに聞かれたときに、「もう一度自分を選ぶ」と答えていた。
 清志郎さんは、次に何に生まれてきたかっただろうか。
 命とは何だろう、と改めて思う。
 歳を取り、子供の介護がなければ生きていけなくなった親の命を守るために介護していたはずが、いつのまにかその介護に疲れ果て、無理心中をはかる親子のニュースが後を絶たない。
人はなぜ、泣きながら生まれてくるのか。人の世が地獄だからか。いやでいやでしょうがなくて生まれてくるからか。わからない。
自分も今年還暦を迎えるが、別にそれほど気にはならない。歳を取ったと感じるのは老眼ぐらいで、それ以外は若いときとほとんど変わっていない。おっと、食べる量は減ったか。若い頃はラーメン・餃子・チャーハンを軽く平らげたが、いまは食べきるので精いっぱいだ。酒を飲んだ翌日は、スポーツジムで大量に汗をかくようにしているが、それは飲んだ分を汗で流せばプラス・マイナス・ゼロだ、と思っているからで、でも、そんなのは自分に嘘をついているに過ぎないということに、本当は自分でも気がついている。
死ぬことを平気だとは思えぬが、そろそろそういう運命を受け入れる覚悟をしなければいけない歳に近付いている。思うがままに生きたいと誰しも願うが、それは無理だ。寿命が300年ぐらいあれば別だが、生まれたときから、死はその先にあるのだから、この世に生まれたことを潔く貫き通す人生が送れれば、幸せとしたい。
つれづれにそんなことを思いながら、忌野清志郎さんのご冥福を祈る。
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